礼拝メッセージ
2008年4月20日

「道、真理、命」
ヨハネの福音書 14章1-7節

今日の聖書個所はキリスト教の中心メッセージを明確に語っています。だからこそ、注意深く学び、ここから色々と考えていきたいと思います。

私の父の家には住まいがたくさんあります
イエスが父の家と言っているのは、私達が御国(みくに)、天国、神の王国なだと呼んでいる所で、この地上にあるものではないようです。そこは、永遠の住まいであり、苦しみの無いところであり、神様が完全に支配する場所です。この所について、今日の聖書個所では、次のことが語られています。

  1. 住まいがたくさんある。
  2. イエスが迎えてくれる。
  3. そこにはイエスがいる。

イエスはご自身を「道であり、真理であり、命である」と言いました
道は天の御国に続く道のことを言っているのでしょう。真理はイエスは変わることのない、正しい方だということでしょう。命はこの地上の命ではなく、永遠に続く命のことでしょう。この宣言は普通の人がすることはできません。イエスはどうしてこんなことを言えたのでしょうか。もし、ご自身が神様の性質を受け継いだ救い主だと理解していなければ、このようなことは決して言えなかったはずです。

私を通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはできない
人によっては誰でも死後には神様の国に迎え入れられると信じていたり、良い行いをしてきた者が救われると信じていたりします。しかし、聖書は天の御国に入るには、イエスを救い主として認めて、悔い改めた者だと教えています。この宣言はキリスト者を他の宗教を信じる者に対して、傲慢な思いを持つようにさせてしまうでしょうか。もし、そうであるならば、その人の信仰に問題があると思います。キリスト者はただ恵みによって、キリストの十字架の死と復活というできごとから、一方的に赦されている存在なのです。私達は決して自分を誇ることはできません。神様の視点から見た時、キリスト者も他の宗教を信じる人たちも同じように愛されています。同じように永遠に生きることができる程の正しさを持っていない存在で、いつかは滅ぼされるべき存在です。その中で、一方的な恵みによって救われると教えています。この事を理解しつつも私達は傲慢になることができるでしょうか。

では、他の宗教を信じている人たちに対して、私達はどうすればいいのか
私達はキリスト者になったから神様に愛されているのではなく、神様に愛されているからキリスト者になることができました。その神様の愛は他の宗教を信じる人たちに対しても変わりません。神様は私達に何を信じるかの選択権を与えています。他の宗教の教えにもたくさんの良い部分があるでしょう。特に、ユダヤ教、イスラム教などは、私達が旧約聖書と呼んでいる聖書を使っているのですから、私達の学んでいることと同じことを学んでいる要素はたくさんあるはずです。他の宗教をただ否定することはできません。キリスト者がしなくてはいけないことは、まず自分の救いはどこから来たかを明確にすることです。キリストの十字架の死と復活によって明確にされた救いは、他の宗教では語られていません。そしてこの教えが真理であるならば、私達は全ての人に伝えていかなくてはいけない。この伝えていく時に、私達が注意しなくてはいけない点が三つあると思います。1.全ての人は信教の自由を神様から与えられている。2.相手のことを理解するように努力する。3.自分も罪の問題を抱えていることを忘れない。

New York Japanese Church
ニューヨーク日本語教会
P.O.Box 641, Hartsdale, NY 10530
電話: 914-902-0300 (代表会員)
メール

© 1997-2025 New York Japanese Church. All rights reserved.a


Jaspella Gospel Guide

Site hosted by ShowGain.TV