礼拝メッセージ
2008年4月13日
「私は羊の門、私は良い羊飼い」
ヨハネの福音書 10章1-13節
ヨハネの福音書の一つの特徴は、イエスの言葉で「私は何々です」という、自分を何かにたとえる言葉が出てくることです。今日は「羊の門」と「羊飼い」に自分をたとえている個所から学びます。
羊の門(9節)
イエスを通って入る者は命を与えられ、あふれるばかりにその命を楽しめるというのが教えです。
良い羊飼い(11節)
羊飼いと言えば、聖書をよく知っている人ならば、詩篇の23篇を思い出すでしょう。イエスはご自身を良い羊飼いと言った時、23篇に出てくる良い羊飼いとかけていたことでしょう。そして、ここでは良い羊飼いは羊のために自分の命を捨てると言っています。これは、イエスの十字架の死のことを言っているのでしょう。
悪い羊飼い(12節)
悪い羊飼いは、狼が来ると逃げてしまう。それは、羊のことを気にかけていないから。
今日の聖書個所からイエスの主張をまとめると
イエスは天地創造の神様から遣わされて、この地の人に、本来神様が人に与えたかった命を与えるため、自らの命をささげに来た。
私達は何をするべきか
羊は羊飼いの声を聞き分けると言っています。(3節)
私達はどのように声を聞き分けることができるようになるでしょうか。私はこれは日々の生活にかかっていると思います。常に神様を求めて祈る者、聖書から学ぶ者が声を聞き分けることができるようになっていくと思います。そして、もう一つが聖霊なる神様の働きかけによって、神様を知ることができるようになります。
私達はイエスを羊飼いとして認めるならば、その教えを聞き、その教えに従う者になるという選択が必要です。
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