礼拝メッセージ
2005年7月24日

「礼拝者になる」
ヨハネの福音書 4章19-24節

礼拝とは
礼拝と聞くと多くの人は、教会で日曜日にある礼拝を思い起こすと思いますが、今回のテーマはこのような日曜日礼拝に限らず、「神様を礼拝する」ことです。
礼拝と言うものは、神様をあがめたたえることなのですが、私は今回このように定義してみることにしました。「神様を聖書によって教えられている神様として認めて、その神様を喜び、その神様に喜ばれること。」

ここで言う礼拝は生活の中にあるもの
日曜日の礼拝には大体の場合、聖書朗読、歌、祈り、メッセージ、黙想、献金、何かの象徴を見る(ロウソクの灯りを見て神様を思い起こすなど)、聖餐式、洗礼式などがあって、これももちろん礼拝ですが、これらの一つ一つに私達の神様を喜ぶ思い、崇める思いがなくては礼拝と言えないのでは。逆に私達の生活の中で、神様とは一見無関係のことをしているようでも、神様を喜んで行なっているのならば、それは礼拝と言えるでしょう。私達が神様を喜ぶ時、神様は私たちを喜んでくれます。

今日の聖書箇所
女性は礼拝する場所について聞きましたが、イエス様は全ての場所で礼拝できるようになると言っています。私達はどこでも、いつでも神様を礼拝できます。
イエス様は「霊」と「まこと」によって礼拝すると言いました。「霊」は明らかに「聖霊」にことを言っています。聖霊が私達は神様の子供であることを教えてくれているので、神様を「父」として喜ぶことができます。「まこと」はおそらくこの神様は唯一の絶対的な真理の神様だという事実と、それを信頼できる信仰のことを言っているでしょう。
私達は週7日間、一日24時間神様の聖霊を受けて、信仰によって礼拝する者になれます。

日曜の礼拝のこと
礼拝の形式は各個人それぞれの形式があると言えます。人によっては家庭を守ることが礼拝で、人によっては会社で働くことが礼拝で、走ることが礼拝で、食べることが礼拝でなどなどあります。しかし、私達は神様の命令によって週に一度、キリストにある兄弟姉妹が集まり、共に神様を礼拝する時を持ちます。それがこの日曜日の礼拝です。ここで一つ大切なのは、兄弟姉妹が集まるようにと教えられていることです。一人でとは言っていません。一人で礼拝するのは、教会の礼拝の時間以外にいくらでもできます。
教会ではそれぞれの形式に従って礼拝します。この時に音楽の好みこと、メッセージの好みのことなどで幾つかの教会に分かれてしまうのは、ある程度しょうがないことだと思いますが、大切なのは私達は神様に礼拝を捧げに集まっているという思いです。私達が神様から何かを受けるためにではなく、まず捧げるために来ています。そして私達が神様の前にそれぞれが立てたならば、間違いなく神様は私達に必要な祝福を与えてくれるでしょう。

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