礼拝メッセージ
2004年2月22日

「本当にできるのか?」
ルカの福音書6章27-38節

今日の聖書箇所でイエス様が「何をするように」教えているか確認してみましょう

  1. 敵を愛する

  2. あなたを憎む者に善を行う

  3. あなたを呪う者を祝福する

  4. あなたを侮辱する者のために祈る

  5. 片方の頬を打つ者に他の頬をも向ける

  6. 上着を奪う者に下着を拒まない

  7. 求める者には与える

  1. 奪い取る者からは取り戻さない
  2. 自分にしてもらいたいと望むとおり人にもする

  3. 返してもらうことを考えずに貸す

  4. 人をさばいてはいけない

  5. 人を罪に定めてはいけない

  6. 人を赦す

このような教えを私達は本当に実践していけるのでしょうか?

  はっきりとした答えを最初に述べると、私達がこの教えを完璧に実践することはできません。不可能です。あまりにも標準が高いです。この地上でこの教えを完璧に実践できた者は今までに一人だけいました。それがイエスキリストです。キリストはそのようなお方だから、私たちの身代わりに死ぬことができました。本当に愛のお方です。そして、罪のないお方です。もし罪のある方だったら、自分の罪の結果としての死ですが、彼は死を受けなくてよいお方だから、私たちの罪を代わりに背負い十字架で命を捨てることができました。

できない教えをなぜ教えたのでしょうか?

  1. イエス様は神様の聖なる性質を教えました。(36節)

  2. イエス様は人と神様の違いを教えました。
    さばくのは神様であり、人ではない。人を罪に定めるのも、人ではなく神様。

  3. できないと言ってあきらめるのではなく、目標を持って成長していくのです。
    できないのだけれど、赦されているから気にすることはないというのは、間違っています。 赦されているからこそ、神様の愛に応えて神様の教えに力を尽くして従おうとするのです。

注意すべき点:神様はただ受身な方ではありません

  積極的に奪われるようには教えていません。奪われたとしても、赦せということです。
何でもいいから殴られろというわけではく、そのような状況になってしまっても復讐をするなということです。
  イエス様の生涯を福音書から振り返ってみましょう。イエス様は当時の宗教指導者たちと討論もしました。殺されそうになった時に、のがれることができたこともありました。ただし、イエス様は私達のために十字架に架かって死にました。
  新約聖書の手紙の中には、不品行を行う兄弟とは交わってはいけないと言っているところもあります。(コリントの手紙第一5章)

厳しい教えですが、この教えは人を幸せにする教えです

  例えば、赦せないのは自分を苦しくする。私達が怒りを持ち続けていては、自分が嫌な思いをすることになります。

ここでも一つ注意すべきこと

  和解することができなくても、赦すことが大切です。聖書では謝ってきたらいつでも赦しなさいと教えているので、謝ってこなかったら赦す必要がないのではないか言う人がいます。そうとも言えるのですが、厳密に言うと、謝ってこなかったら和解はできないが、自分の中では感情的に赦していなくてはいけません。和解できないということは、距離を置いた関係になってしまうわけですが、自分の中で赦していなくては、嫌な思いが留まります。

あなたはこのイエス様が与えた教えに、どう応えますか?三つの選択肢

  1. この教えを意味のないものとする

  2. この教えを受け入れて、自分の力のみに頼って実践していこうとする

  3. この教えを受け入れて、自分も努力しつつ神様の力を受けて実践していく

(神様が私達に求めている答えは3です)


今日何をするか

  1. 私の力では決してこの教えを実践していけないと認めること
    まず神様に降参します。私にはできませんと認めることです。

  2. 神様の力が働く時に、私達も変えられていくと言う約束を信じる
    私達は聖霊を受けて、聖霊の力によって変えられると約束されています。

  3. 神様との関係がはっきりとしていない人は、イエス様を救い主と信じて神の子となる約束を信じましょう。

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