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礼拝メッセージ
2004年8月8日
「祈りについての教え」
ルカの福音書11章1〜13節
今日はまずイエス様が弟子達に教えた祈りで、後に「主の祈り」と呼ばれるようになった祈りについて学びます。この祈りを学べば、どのように、どのようなことを祈るべきかが分かります。
父よ :私たちはイエス様が十字架に架かり、罪をあがなってくれたので、天地創造の神様の子として迎え入れられている。私たちは、ただ偉大で遠い存在の神様に祈っているのではなく、親しい関係を与えられている神様に祈っている。
御名があがめられますように :これは、崇拝あるいは賛美の言葉と言える。神様は賛美を受けるにふさわしい方なので、私たちが神様の御前に出たならば、このような言葉が自然に出てくるはず。
御国が来ますように :私たちの利己的な願いが最初に来るのではなく、神様の支配する時が来ますようにと、神様が中心になることを願っている。実際には私たちが利己的な思いを持ち続けるよりも、神様が支配する時に、私たちは幸せを得ることができる。
私たちの日ごとの糧を毎日お与えください :生活の必要のためにも祈っている。贅沢を祈っているのではなく、必要なものが与えられるように祈っている。
私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。 :私たちが人の罪を赦すから赦されるのではなく、神様が私たちを赦してくださっているから、人を赦すことができるようになる。だから、人のことを赦すことができるようにとの願いと共に、自分の罪の赦しを願い、赦されていることを確認する時を持つ。私たちが赦されているのは、イエス様が私たちの受ける罰の代わりに十字架に架かって下さったから。
私たちを試みに会わせないでください :私たちは悪の誘惑に対して弱く、罪を犯してしまうので、その誘惑にも会わないようにと願っている。
祈りについて確認したいこと
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私たちは父なる神に祈っている。父と子の関係が与えられている。
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神様は賛美を受けるのにふさわしい方だから、私たちは賛美する。
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私たち中心ではなくて、神様が中心だけれど、私たちの生活の必要も祈るようにする。
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私たちの生活の必要とは、肉の必要だけではなくて、罪が赦されることや、誘惑から守られることも含まれる。
5〜10節
このたとえ話の鍵になるのは、「友達」です。非常識なお願いだが、友達だからこそ願うことができて、しかも執拗に頼むと友達にもしてくれないようなこともしてくれるということは、信頼して願い続けることを教えている。私たちと神様との関係は、友達ではなくて親子関係です。この親子関係にある方に信頼して願い続けるように教えている。
11〜13節
神様は願い求める者に対して、必ず良いものを与えるということを、人間の父子関係をもとにして語っている。
最後に聖霊を下さることについて書かれているが、おそらくそれは、私たちが祈り続ける者になるために、神様は私たちに聖霊を下さるということでしょう。
今日覚えておきたい、私たちに与えられている約束
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祈りを聞いてくださる。
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神様と私たちとは、父と子の関係になれる。
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求める者には聖霊を与えてくださる。
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